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1959.01
東京都品川区豊町で生まれる
「万有引力の法則」を見出したアイザック・ニュートンと同じ1月4日生まれです(何アピール?(笑))。皇太子(のちの令和天皇)の結婚式が行われ、美智子妃殿下の愛称である「ミッチー」がブームになったとてもおめでたい年に生まれました。
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1979.04
慶應義塾大学医学部入学
最初の2年間は音楽とスポーツとアルバイト三昧でした。3年生になって医学部専門課程になると、人が違ったように勉強しました。勉強が面白くて仕方なく、個性的な教授陣、助教授・講師陣と積極的に交わり大いに感化を受けました。
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1985.03
慶應義塾大学医学部卒業
卒業後は眼科学教室に入局、研修医として辛い修行時代を過ごしました。3ヶ月間麻酔科研修を積んだおかげで、気管内挿管、心臓マッサージ、人工呼吸器の扱いにも習熟しました。人工心肺を回す心臓外科の手術にも立ち会うことができました。
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1986.07
国立東京第二病院(現 国立東京医療センター)眼科
ここでの恩師秋山健一先生は眼科医としての技量、人格共に雲の上の人で、眼科医としての基礎と手術をを叩き込み、その後の私の医師としての哲学に計り知れない影響を与えました。アメリカ留学の決意を100%固めたのもこの時でした。
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1988.01
大田原赤十字病院眼科部長
初めて部長として赴任、全ての責任を部長として担うという重責でした。糖尿病や高血圧、交通事故などさまざまな疾患により失明する多くの人々を目の当たりにし、基礎医学の研究に従事したいという気持ちが強くなり生科学の勉強を始めました。
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1990.07
米国ハーバード大学医学部留学
リサーチフェローとして、Harvard大学医学部へ留学。Dryja博士らとともに網膜色素変性症の原因遺伝子の研究に従事。英科学誌Nature、米科学誌Scienceに論文が掲載され日本人初のハワードヒューズ医学協会の奨学生に選ばれました。
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1992.03
医学博士の称号授与される
網膜色素変性症の遺伝子研究について、慶應義塾大学医学部から博士(医学)の博士号を授与されました。これにより日本の各種留学奨学金に申請できるようになり、米国での長期研究の目処が立ちました。
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1993.06
米国での奨学金を獲得
米国の医師でも難関であるHoward Hughes Medical Institute Postdoctoral Physician Fellowshipを獲得。生活費と研究費を助成される。
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1995.09
慶應義塾大学医学部特別招聘教員(講師/兼任)
慶應大学医学部で初めて創設された「特別招聘教員」に選任される。
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1995.10
「北里賞」受賞
第64回慶應義塾三四会北里賞を受賞しました。細菌学の世界的権威で慶應義塾大学医学部の創設者、北里柴三郎に因んだ名誉ある賞です。
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1996.01
スタンフォード大学に就職
Stanford大学医学部神経生物学教室にResearch Associateとして正式採用されました。
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1996
日本人類遺伝学会奨励賞
平成8年度 日本人類遺伝学会奨励賞を受賞しました。
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1997
日本医師会医学研究助成を受ける
「網膜神経細胞再生過程に於ける選択的遺伝子発現と神経細胞移植へ向けての基礎的研究」というテーマで日本医師会医学研究助成を受けました。
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1997.04
東京大学医科学研究所化学研究部客員研究員
東京大学医科学研究所化学研究部客員研究員を併任しました。
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1999.02
理化学研究所脳科学総合研究センター
理化学研究所脳科学総合研究センター神経再生研究チーム・チームリーダーに就任しました。
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2006.04
眼科かじわらアイ・ケア・クリニック 開設
医師を志した時の原点「目の前の患者さんを救う」に立ち帰り、「眼科難民を救う」という自らの理念のもと「眼科かじわらアイ・ケア・クリニック」を開業しました。